ポンコツでも丁寧に暮らせますか?

丁寧な暮らしをまだ諦めない、ガサツでポンコツな母ちゃんの手作りおやつ記録と雑記

キツツキトントン〈記憶よりも現実は優しかった話〉

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マーマレード入りのココアマフィンと、吉川文子さんのレシピからキャラメルナッツスコーン。良い香り!

 

さて、子供の頃の記憶って、言わずもがな自分が見た事実と、その時の感情だけであって、またそれさえも実際にあったことなのか曖昧な感じなことが多いですよね。

 

約30年前の小学3年生の頃の話。

 

田舎だからか、当時は、今のように特別学級が無く、発達障害を疑われるような子達も同じように教室で学んでいた。(少なくとも私の母校では。)どの程度の配慮があったのかは分からないけれど、今思えば、その子達にとって他の子達と同じレベルでの学習はかなり厳しかっただろうなと思う。そんな中に、勉強もコミュニケーションも苦手なS君という男の子がいた。

担任の先生は、肉付きの良いベテランの年配女性で、余り好かれてはいなかった。古いタイプの人で、言葉もキツかったな。私が運動神経良い子たちと同じ段の跳び箱を飛べた時、「他の子は分かるけど、あんたもこれ飛べるんだね。」と言われた言葉が今も残っている。失礼しちゃうわ。

 

ある日、先生がS君に対して「あなたは、もう2年生に戻りなさい!」と言った。机ごと2年生教室へ行くように指示されたS君が何をしたかは私は知らない。反抗することなく、机を持って教室を出ていくS君。2年生教室は中庭を挟んだ反対側の校舎にあったので、机を持って中庭を横切るS君を2階の廊下から眺めたのを覚えている。私の記憶はここで終わっていた。S君、可哀そう…という気持ちのまま。

 


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(図工教材のキツツキトントン)

 

 

それから30年近く経ち、何かのきっかけでこの出来事について妹に話すことがあった。

「あ!私も覚えてる!Sにーにーが急に2年生教室に来たんだよ!」(沖縄では年上の人に、にーにー、ねーねーと呼ぶ)

 

妹と私は一個違い。そうか!!!S君が机を持って行ったのは妹のクラスだったんだ。なぜ、気づかなかったのか。

驚いたのは、そのあとの妹の言葉。

 

「確か、図工の時間だったんだよね。キツツキトントンっていう、工作みたいなのをしていて、それがとっても難しくてさ!でも、Sにーにーがそれを作るのがとっても上手で、その時間ヒーローになってたんだよ!」

 

そう、3年生のS君はキツツキトントン経験者だったのだ。S君の周りには2年生が群がり、妹もそれに混じっていたらしい。

 

〈可哀そうなS君〉という私の記憶を、思いっきりぶっ飛ばしてくれたこのエピソードを聞いて、私は泣くほど笑った。なんでこんなに泣くほど笑っているんだろうと考えてみると、勝手に可哀そうというレッテルを貼ってしまっていた自分が恥ずかしかったのもあるし、世界は思ったよりも優しいことがとても嬉しかった。

 

そう言う、思いがけない小さくて優しい人生の欠片みたいなのを集めて生きていけたら幸せだと思う。

 

長文になってしまった!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます*