こんにちは、ねぎです。
ここ近年、ずっと気になっていたんですよね、ハジチ。
『成人儀礼』として、琉球の女性の手に施されてきた文身(ぶんしん、いれずみ)のこと。その歴史は貝塚時代まで遡るが、日本による廃藩置県をきっかけに政府から禁止令が出され、今では完全に無くなってしまった文化。
ねぎ自身、もちろんハジチを見たこと無いけれど、母方の曾祖母の手には立派なのがあったと最近知ったり、近年、若い人にハジチがフォーカスされて、企画展やネットの記事などで目にする機会が増えたことでハジチへの興味が増した。ハジチを復刻させようと活動する「ハジチャー」を名乗る彫り師も登場している。
ハジチについてはネットにも情報いろいろはあるものの、もう少しちゃんとした資料からハジチの事を知りたいと思い、少し前に、近所の歩く博物館(博物館の館長を長年されていた)こと、親戚のおじさんから本をお借りした。
この本は著者が数年に渡り、沖縄本島から離島まで(台湾もあったかな)、ハジチを施した数少ない貴重なオバー達から見聞きした話が記録されている。
1983年発刊当時でさえ、すでにハジチを見る機会は少なく、地元の方に聞き取りを行いながら、ハジチを施したご高齢の女性を訪ねていく様子が記されている。
貴重な資料であることは間違いないけれど、私が一番知りたかった《本来の意味》という部分は、やはり謎だなぁという結論に至った。
ここに記されているのは、禁止令が出された時代に施されたもので、いわば晩年のハジチ。当時と、貝塚時代から続くそれ以前の時代とでは、たぶんハジチの意味するものが違う部分があるのではないか。何となく、そう思った。たかが、1冊本を読んだだけであれこれ分からんのだけど(しかも飛ばし読み)、だからこそ無性に惹かれるてしまう。
ハジチを施した理由はいろいろ書かれていたけれど、大和に連れていかれないため、という証言が多く記されていた。当時、沖縄は琉球王国。大和の人はハジチを嫌がると古い言い伝えがあったそう。
【身を守るため】に、相手に武力を使わせない知恵だったのかもしれない。私の勝手な想像だけども。
貝塚時代はお洒落でやってたのかな。
あと、【自らの文化を捨て、信じたはずの近代文明によって、この地は戦場となり、海は汚され続けている】、という感じの一文があり、深く唸ってしまった。
もうすぐ慰霊の日を迎える沖縄。
二度と戦場にされないために、出来ることやらないと。と、強く思った。