ポンコツでも丁寧に暮らせますか?

丁寧な暮らしをまだ諦めない、ガサツでポンコツな母ちゃんの日記

パキラの葉に学ぶ。


こんにちは、ねぎです。

更新率が駄々下がり中です。2月下旬から家族や私の体調不良が続き、遂に(?)私がコロナ発症で自粛生活です。コロナ禍3年目にして、我が家で初感染。幸い、3日寝込んで回復しましたが、嗅覚がどうもおかしく、吐き気もややあり。早く治らんかな。

 

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体調を崩す前から、葉が枯れていくのが気になっていた庭のパキラ。

すっかり黄色くなった葉は、意外にもなかなか散ることなく、その時は、指で触れてもしっかり柄にくっついていた。見た目が良くないから、枯れた葉は取ろうかと思ったけど止めておいた。

 

その後、体調を崩した私が寝込んでいる間に、夫が日当たりのよい場所に移動させていたらしい。

 

今朝、久しぶりにパキラを見ると、ますます葉の変色が進み、茶色くなっている葉も増えていた。まだだるい体を近づけてゆっくり観察する。ふと、触れてみるとハラハラと葉が落ちた。お!先日まで、粘っていたのに、このタイミングだったのだ。

 

よく見ると、脇芽から新芽がしっかり顔を出していた。


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新しい芽が出て初めて、古い葉はその役割を全うして落ちたのだ。

そんなの当たり前の事じゃないか、と言われたらそれまでなんだけど、病み上がりという精神状態もあってか、そのパキラの葉の落ちていく姿が本当に美しくて、心の底から感動した。潔く、新しい命の為に去っていく姿の美しさと、その意味さえも求めない迷いのない姿に敬意を感じた。

 

考えてみると、いや考えなくても、植物も昆虫も動物も、命あるものは全て同じだ。交尾をした雄のカマキリは直後に雌に食べられ、産卵を終えた鮭はぼろぼろの体で命尽きるように、次の命の為に、新しい細胞の為に、私たちは日々死んで(細胞単位で)、生まれている。ごくごく当たり前の事だけど、私たち大人は、日常の中でついその事を忘れてしまいがちで、命のバトンを片手に持ちながら、永遠に生きているような気持ちで今日も生きている。バトンはいつか渡さなければいけないのだ。

 

新しい命に対する自然の営みに感動したのは、きっと今の世の中が、新しい命に対して余りにも世知辛い気がしているからだと思う。子供の貧困や自殺、出生率が過去最悪の数字を出し、働きたくても預け先の足り無い状況が、もうずっと前から続いている。子供がうるさいと公園や保育園に苦情が来たり、子連れでの外出は肩身の狭い思いをするものとなっている。不自然だなぁ。

 

パキラを見習って、【潔く】、国は次世代に対して力を注ぐことが出来ないだろうか。新しい命を無条件に喜べる世の中を築くことが、武力よりも、ずっと豊かな国力になると思う。違うかい?

 

 

あー戻れ嗅覚!