ポンコツでも丁寧に暮らせますか?

丁寧な暮らしをまだ諦めない、ガサツでポンコツな母ちゃんの日記

大人だって嫌だなぁ

来る日曜日は、子供たちの学習発表会。

 

私の母校でもあるここの小学校は、三年生から地域の伝統芸能を披露する。

 

教えてくれるのは、「師匠」と呼ばれるような地域の先輩方である。地域の方が学校に出向いて、直々に指導してくれるそう。

私の小学生の頃は無かったなぁ。とても良い取り組みだと思う。

 

息子は張り切って、家で踊る日々。

そのお陰で、息子が歌う民謡が頭から離れない。娘は、ポケモンドラえもんの歌を踊るそう。こちらも俄然張り切っている。

 

本番が楽しみだなぁと思っていたら、ふと昨年の学習発表会を思い出した。

 

舞台の幕が上がると、子供たちが目にするのは、感染対策した大人たちがソーシャルディスタンスを守って座り、静かに鑑賞する姿。

全員がマスク姿で、等間隔に座らされ、時折、手拍子を挟むも、出来るだけ静かに鑑賞していた。

 

収監されたんか!!!

場数を踏んだ芸人でも怯む光景だと思った。

 

思わず、私はマスクを下げ、笑顔を子供に向けて、大きく笑って見せた。隣の夫も、この光景には思うところがあったらしく、「なんだかなぁ。」と言っていた。

 

子供たちの勇姿を、笑顔で見ることは可能じゃないか?ペチャクチャ喋る訳でもないし、唾を飛ばすわけでもない。

せめて、演目の間だけでも、大人たちの笑顔を見せることは出来ないのか?

 

そう思い、学校に掛け合ってみたけれど、「学校運営を止めること無く、行事をするためには感染対策は必須。教育委員会からも感染対策を徹底する様に通達が来ているので。」とのこと。

 

まぁ、その回答は想定内なんなんだけど、そもそもの感染対策の意味を考えれば、演目の間マスクを外して笑顔で子供たちを応援することは出来ない事ではないと思う。

子供たちの事を優先すれば、ほんのちょっとの取り組みで出来る事は沢山あるのに、「感染対策は必須です。」の一点張りで、相変わらずな感染対策には、責任を取りたくない大人の事情なのかなぁ。

 

そんなことを思ったのだけど、そもそも子供たちはマスク姿の大人の方が見慣れているし、安心するのかもしれない。私は余計な事をしているのかもしれない。

それはそれでとても怖いことだと思う。上手く言えないけれど、顔を見ないコミュニケーションが日常化する事は、子供たちの成長に、大きな影を落とす気がしてならない。

 

子供たちを取り巻くマスク生活にもやもやしながらも、今日も子供たちとガハガハ笑ってやるぞ!

 

ねぎ