ポンコツでも丁寧に暮らせますか?

ポンコツ過ぎて嫌になるけど丁寧な暮らしを目指したい35歳の日常

ハジチ(針突)を想う

こんにちは、ねぎです。

ここ近年、ずっと気になっていたんですよね、ハジチ

 

 

『成人儀礼』として、琉球の女性の手に施されてきた文身(ぶんしん、いれずみ)のこと。その歴史は貝塚時代まで遡るが、日本による廃藩置県をきっかけに政府から禁止令が出され、今では完全に無くなってしまった文化。

 

ねぎ自身、もちろんハジチを見たこと無いけれど、母方の曾祖母の手には立派なのがあったとを最近知ったり、近年、若い人にハジチがフォーカスされて、企画展やネットの記事などで目にする機会が増えたことでハジチへの興味が増した。ハジチを復刻させようと活動する「ハジチャー」を名乗る彫り師も登場している。

 

ryukyushimpo.jp



ハジチについてはネットにも情報いろいろはあるものの、もう少しちゃんとした資料からハジチの事を知りたいと思い、少し前に、近所の歩く博物館(博物館の館長を長年されていた)こと、親戚のおじさんから本をお借りした。

この本は著者が数年に渡り、沖縄本島から離島まで(台湾もあったかな)、ハジチを施した数少ない貴重なオバー達から見聞きした話が記録されている。

1983年発刊当時でさえ、すでにハジチを見る機会は少なく、地元の方に聞き取りを行いながら、ハジチを施したご高齢の女性を訪ねていく様子が記されている。

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貴重な資料であることは間違いないけれど、私が一番知りたかった《本来の意味》という部分は、やはり謎だなぁという結論に至った。

 

ここに記されているのは、禁止令が出された時代に施されたもので、いわば晩年のハジチ。当時と、貝塚時代から続くそれ以前の時代とでは、たぶんハジチの意味するものが違う部分があるのではないか。何となく、そう思った。たかが、1冊本を読んだだけであれこれ分からんのだけど(しかも飛ばし読み)、だからこそ無性に惹かれるてしまう。

 

ハジチを施した理由はいろいろ書かれていたけれど、大和に連れていかれないため、という証言が多く記されていた。当時、沖縄は琉球王国。大和の人はハジチを嫌がると古い言い伝えがあったそう。


【身を守るため】に、相手に武力を使わせない知恵だったのかもしれない。私の勝手な想像だけども。

貝塚時代はお洒落でやってたのかな。

 

あと、【自らの文化を捨て、信じたはずの近代文明によって、この地は戦場となり、海は汚され続けている】、という感じの一文があり、深く唸ってしまった。

 

もうすぐ慰霊の日を迎える沖縄。

二度と戦場にされないために、出来ることやらないと。と、強く思った。



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20分の時間旅行

 

今年の春から地元の役所で会計年度任用職員として働かせて貰っている。


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(転職後、庭の人参で焼いたキャロットケーキ)

 

 

日々、忙しい職員に代わり、様々な雑務を任される。その一つが、保管年数を過ぎた文書の破棄。先日、保管用の段ボール3箱の中身をシュレッダーにかけるよう頼まれ、手が空いた時に地道に処理していた。実に地味な作業である。段ボールが残り1箱になった時、ようやく他の箱と様子が違う事に気づいた。明らかに他の箱よりくたびれていて、カビのような臭いがする。開けてみると、博物館にある資料のように黄ばんだ書類が出てきた。ボロボロの表紙には昭和46年人口動態調査票と書かれている。恐る恐る紐で綴られたその中身を開くと、その年に転入、転出、出生、死亡、結婚、離婚した方の名前や日付、人口統計が手書きで書かれていた。ボールペンではなく、万年筆のようなタッチの文字の綺麗さと、今では見かけないような名前に時代を感じて、しばらく見入ってしまった。ハッとして、私は何かに突き動かされるように、他の文書もめくりはじめた。私は自分が生まれた昭和62年を探していた。しかし、残念、段ボールの中には昭和61年までの資料しか無かった。

 

個人的に、これらの資料をシュレッダーにかけるのには抵抗があったので、本当に破棄して良いのか上司に確認する。一番古い一冊を残して破棄するように、との事だった。「何だか、勿体無いですねぇ。」と呟くと、聞いていた職員が「その段ボールの中は何故か破棄を免れて残っていたですよね。理由は分からないけど。あ、その辺りの古い資料なら少し向こうの棚に保管されてるからこれらは破棄して大丈夫。」

 

私は胸が高鳴った。迷わず、《向こうの棚》に向かった。扉を開くと、先ほど見た表紙と同じものが数冊だけ棚に残っていた。昭和62年。あった。

ドキドキしながらめくっていくと、《婚姻》のページの一番最初、『1月7日』と書かれた横に両親の名前があった。35年前のこの日、当時25歳の両親は婚姻届を提出していた。どんな気持ちだったのだろう。私は35年前に想いを馳せ、令和5年の役場の書庫にいる事を完全に忘れていた。《出生》のページまでいくと、『7月20日』、私が生まれていた。どこの誰が書いたのか分からない、その綺麗な文字で書かれた自分の名前を見て、ぐわぁーーーーっと胸が熱くなり、「あたし…誕生おめでとう!」と心で叫んだ。

 

ほんの20分の時間旅行。(働け)

 

 

私は私で頑張ってるのだ。



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さっき気づきたてホヤホヤの事なんですけど。

 

私、頑張ってます。そう、ねぎは頑張っているのだ。

 

あ、久しぶりのblogなのにちょっと暗くなりそう!笑

 

 

何かここ数日調子でなくて、色んな場面での自分の発言や態度が気になったり、沸点が下がって子供達とバトルが増えたり、私のポンコツ事象に対する夫からの指摘にもホトホト嫌気が差し(ポンコツだから仕方ないのに、仕方ないで済ませてくれない夫よ)、自己肯定感ダダ下がり。

 

夜中まで仕事してる夫や、お昼休みも取らずに仕事する上司、自分のために絶対に年休を取らない同僚、その他、頑張りに頑張ってる人が周りにいるため、次第に、「お前ももっと頑張れよ。」って気持ちが、じわりじわり自分の中に生まれていた。


どーしよーもねーなぁ自分。と思って、焚き火しながら夜空を仰いだら、

「おい、ねぎも頑張ってるんだよ!」って思って。(思ったのか、聞こえたのか)

 

ハッとした。

そうだ、ねぎはねぎで頑張っていたのだ。

 

 

頑張ってるかどうかは、人と比べる物ではないし、そもそも頑張ってないといけないなんて事は何一つない。それなのに、いつの間にか無意識に比べてしまう。皆そうだと思うのだけど。

 

 

そうだ、転職して新しい職場で頑張ってるんだ。人と話す機会が一気に増え、前回のblogに書いてあるように、職場の席はよく喋る元気に挟まれている。

 

kanaxx.com

 

それはそれで楽しさもあるのだけど、仕事もあまり出来ない立場で、お喋り相手になっていては正直、気が気ではないし(真面目なもんで)、窓口では人生に関わる大事な届け出(出生死亡結婚離婚等)を見るため、知っている人の知りたくない個人情報が一気に自分の中に入ってくるし、あまり心地よいとは言えない感情に揺れる日々。

 

また、田舎への移住の話がなかなか進まない焦りや、地域の子供会の班長の仕事や、毎日三食考えるストレスやなんやかんやで、《あー、一人になりたいわー…》と思うことが増えていたな。

 

《一人になりたい》と思うなんて、私にとってはキャパオーバーサインだ。

 

ポンコツなりに、これでも一生懸命頑張って生きてるんだ。

と、気づいたら、とてつもなく気持ちが軽くなって、あー、ねぎまだまだ可愛いーなーと思った。焚火の周りに飛んできた蛍に癒され、子供たちに素直に優しく出来た。

 

上出来の週末だ。

 

 

またまた転職。

久しぶりにヒールのパンプスで歩く。

コツコツコツコツという心地よい音に混ざって、パチッ!パチッ!と乾いた音が響く。

足元を見ると、一面に何かの実。その種子を私が踏んでいた。

見上げると桜の樹にたわわに実が付いている。おっ!さくらんぼ!と、少し気持ちが軽くなった。

今日は初出勤の日。

 

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(最近焼くのにハマっているVeganScone。)

 

2月から働いていた職場を3月末で去り(短っ)、今月からまた新しい職場。前の職場は契約更新で5月末くらいまで働けたのだけど、帰宅時間の渋滞や、子供達が学童に落選したこと(一番の想定外)、5月という中途半端なタイミングでの就活に不安があり、早めに近場で働く事にした。

前の職場は、人に恵まれ、仕事以外での学びも多く、とても短い期間だったけれど、働く事が出来て本当に良かったと心から思う。ポンコツに優しい職場で有り難かった。

 

新しい職場も行政関係。地元の役場だ。

 

さくらんぼの種を踏みながらの初出勤。

ドキドキしながら挨拶すると、あら、私の席がまだ用意されていない。30分ほど別室での待機。気まずいぞおーい。

案内された席は、庁内で一番元気で有名な、脚の付け根まであるロングヘアーのお姉さんと、「自分、隣ッス!!!」と話し掛けてくれた元気な天パの男の子の間。

 

元気に挟まれた。

 

「私の髪の毛、シュレッダー気を付けないといけないのよ。」長い髪の毛のロング姉さんが言うと、「自分、前の職場で20cmやられたっス!赤毛の時に。」と言う元気玉

 

赤毛のロング…!鬼か、いやアリエルか。

 

「こ、個性的だねえ!」と言うと、

 

 

「自分、個性の塊ッス!!!」

 

ヒロアカに決定だ。

INTRODUCTION|TVアニメ『僕のヒーローアカデミア』

超常能力“個性”を持つ人間が当たり前の世界。憧れのNo.1ヒーロー・オールマイトと出会った“無個性”の少年・緑谷出久、通称「デク」は、その内に秘めるヒーローの資質を見出され、オールマイトから“個性”ワン・フォー・オールを受け継いだ。

 

 

窓口対応がメイン業務のため、忙しくバタバタとしているが、賑やかなメンバーで楽しくなりそう!

 

新生活が始まった皆さん、

肩の力入りますが、一緒にゆっくりやっていきましょ♪

 

 

35歳、体調には充分気を付けます。

 

 

パキラの葉に学ぶ。


こんにちは、ねぎです。

更新率が駄々下がり中です。2月下旬から家族や私の体調不良が続き、遂に(?)私がコロナ発症で自粛生活です。コロナ禍3年目にして、我が家で初感染。幸い、3日寝込んで回復しましたが、嗅覚がどうもおかしく、吐き気もややあり。早く治らんかな。

 

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体調を崩す前から、葉が枯れていくのが気になっていた庭のパキラ。

すっかり黄色くなった葉は、意外にもなかなか散ることなく、その時は、指で触れてもしっかり柄にくっついていた。見た目が良くないから、枯れた葉は取ろうかと思ったけど止めておいた。

 

その後、体調を崩した私が寝込んでいる間に、夫が日当たりのよい場所に移動させていたらしい。

 

今朝、久しぶりにパキラを見ると、ますます葉の変色が進み、茶色くなっている葉も増えていた。まだだるい体を近づけてゆっくり観察する。ふと、触れてみるとハラハラと葉が落ちた。お!先日まで、粘っていたのに、このタイミングだったのだ。

 

よく見ると、脇芽から新芽がしっかり顔を出していた。


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新しい芽が出て初めて、古い葉はその役割を全うして落ちたのだ。

そんなの当たり前の事じゃないか、と言われたらそれまでなんだけど、病み上がりという精神状態もあってか、そのパキラの葉の落ちていく姿が本当に美しくて、心の底から感動した。潔く、新しい命の為に去っていく姿の美しさと、その意味さえも求めない迷いのない姿に敬意を感じた。

 

考えてみると、いや考えなくても、植物も昆虫も動物も、命あるものは全て同じだ。交尾をした雄のカマキリは直後に雌に食べられ、産卵を終えた鮭はぼろぼろの体で命尽きるように、次の命の為に、新しい細胞の為に、私たちは日々死んで(細胞単位で)、生まれている。ごくごく当たり前の事だけど、私たち大人は、日常の中でついその事を忘れてしまいがちで、命のバトンを片手に持ちながら、永遠に生きているような気持ちで今日も生きている。バトンはいつか渡さなければいけないのだ。

 

新しい命に対する自然の営みに感動したのは、きっと今の世の中が、新しい命に対して余りにも世知辛い気がしているからだと思う。子供の貧困や自殺、出生率が過去最悪の数字を出し、働きたくても預け先の足り無い状況が、もうずっと前から続いている。子供がうるさいと公園や保育園に苦情が来たり、子連れでの外出は肩身の狭い思いをするものとなっている。不自然だなぁ。

 

パキラを見習って、【潔く】、国は次世代に対して力を注ぐことが出来ないだろうか。新しい命を無条件に喜べる世の中を築くことが、武力よりも、ずっと豊かな国力になると思う。違うかい?

 

 

あー戻れ嗅覚!

 

最近、気になること。

娘が発熱して休んでた日の庭の草花遊び。

真冬の沖縄の彩りよ。


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今月から転職し、環境が大きく変わったこともあって、いろいろ自分を見つめる事が増えてきた。

 

通勤の運転中、特に退勤後は軽い疲れもあり、瞑想のような状態。運転は気をつけなきゃ。

 

そんな瞑想のような状態で気づいたのが、「余分」とか「余計」な、モノや事に関して、私は人一倍抵抗を感じるらしい。

 

今の職場に、前々年度に購入した事務用品ストックが大量にあり、今年度も発注していた。予算の都合もあるからなのだけど、本当に確実に必要な物だけで良くないか?と思ってしまう。2年前の未開封があるのに。

 

それにとてつもなくストレスを感じて気づく。

あ、私は「余分」な物が嫌なんだなって。

 

新しいものであっても、物が溜まっている空間が苦手で、思えば、家にストックしてあるものもは、歯ブラシと石鹸くらいで、食材も一週間で食べきる食材以外のストックはほとんどない。ストック(備蓄)は、余分な物ではないけれど、使う分以上の物を溜めたくないのだ。(防災出来てませんね。)ストックするよりは、小まめに買う方が良く、あ、あれ足りない!となる事も時々ある。だけど、大抵の場合何とかなるものである。

時々、食材を余らして困っている周りの方から、これどうにかして!と、食材を貰うことがあるけど、他人の余りであっても、余らしたくないので、早めにそれを調理して、お返ししたり、食べきったりしている。

 

服も必要と感じる時にしか買わないから、ここ何年も、同じ季節に同じ格好ばかりしている。一つ一つ思い入れのある好きな古着だから、同じ格好でも気になっていない。それよりも、回転しない服がある方が嫌なんだなぁ。


ここまで書いてみると、スッキリした家に住んでいるような感じがするけど、溜めるのが好きじゃないからと言って、家は全くもってスッキリ整ってはいない。おかしい。実は、息子は溜めるのが大好きで、溜めた物を眺めて過ごしている。子供の物は手を出さないようにしているが、もー処分したい物が山ほどある!工作大好きな娘の作品や製作途中の物も山ほど。くぅー!

 

それから、余分とか余計で気になるのは、物に限ったことじゃない。

 

この時期になると、職場や学校で、退職者や先生方への贈り物の話題がでるけど、その贈る側の気持ちよりも「贈った方が良いよね?」とか、「予算が余ってるから。」とか、そう言う理由で贈り物を選んでいる事にモヤモヤする。それは、付き合いの上で必要な事なのかもしれないけど、要らなくない?(笑)と思ってしまう。「贈る」という行為が先行して、「贈りたい」が置いていかれているような。そーゆーもんでしょう!、と割り切ってしまえばいいんだけどね。

 

自分の気持ちよりも大袈裟な何かを贈られた時、嬉しい気持ちよりも、あぁお返しどうしよう、となる。みんな経験している事だと思うけど、あれ本当に苦手なんですよね。そんな事思うなんて、冷たい人間だなぁと思ったりするけど、ほんと余計なんですよね。(苦笑)

 

とか言いつつ、毎年、姑や姑へのプレゼントに頭抱えて、結局は見栄えを気にしたり、ありきたりな無難なものを贈っちゃうんだけど。なんだい!

 

〈今日のポンコツ

・辺の長さが同じ三角形は?と息子に聞かれて、「正方形!」と自信満々に答えた。

・夜更かししてテレビ見て風邪ひいた。

 

 

35歳、転職しました。

こんにちは、ねぎです。


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バレンタイン誰かにあげましたか?

 

新しい職場での仕事がスタートして、10日ほど経ちました。

早速、娘が発熱したため、年休を貰って休んでおります。早っ!

(親の緊張や不安ってすぐ子供の体調に表れますよね。)

 

就職先は初めての行政機関。ガッチガチの事務職。

座って働くなんて10年以上ぶりで、痔にならないか不安を感じつつ、就業中のほとんどの時間をPCに向かって過ごしてる。

不安が大きかった事務職への転職だけど、大きな発見があった。これまで、自分には向いていないと思って苦手意識が強かった職種だけれど、行政職ということもあり、世の中の仕組みを見ることが出来て面白いのだ。そこまでするか?というくらい細かく文書を作成し、一件一件を全て記録。もちろん、それは凄まじい紙の量になり、オフィスがファイル保管の棚で圧迫されている。少し大きな地震があったら、残念ながら係長は資料の下敷きになること間違いない。

 

転職一日目は、生憎の土砂降りの天気に加えて生理3日目オーマイ。なかなかのコンデションの中、60人ほどの職員の前で辞令交付を受け、軽く挨拶をし、慣れないパンプスにスーツ、当たり前だけど全てが初めての業務、聞きなれない言葉のシャワーを浴び、その結果、帰宅後は撃沈。「初めてのお仕事どうだった?」と聞いてくる子供たちに申し訳なかったが、ねぎは撃沈した。

完全に合わないと感じ、せっせと次の仕事を探そうと決意した。

 

転職二日目は、前日と同じ業務に対し、「あ!これ知ってる!」という気持ちになり(前日に習ったからな)、周りの優しさに助けられ、夫も家事や子供の事にとても協力的で、私これなら大丈夫じゃん!と確信。自分で言うのも何だけど、単純細胞というものは、生きやすいと思う。

 

三日目から、気になることが出てきた。恐らく、座席表をみる限り、昔から知っている後輩が在籍しているのだ。妹と同級生であるが、中学校以来会ってない上に、マスクで顔が分からないので確信が持てず、向こうも声を掛けてこない。人違いか?と思い始めるねぎ。知っている人が居たら、心強いのだけど。妹に確認してみると、やはり後輩のようだ。小学生の頃、一緒に缶蹴りをして遊んでいた近所の子だ。

 

翌日、「〇〇さん、ねぎですけど、分かる?」と声を掛けてみた。

「あ、初日から気づいてました。」

 

 

っな!!!声掛けれや!!!

 

どうやら、男性が圧倒的に多いこの職場では業務以外のコミュニケーションが少ないようで、他愛ない話をしたりする雰囲気ではないっぽい様子。

 

そんなの関係あるかい!!!一緒に缶蹴りしただろがい!!!

 

それから、私のデスクに来る時は少し話してくれるように。(自分のデスクでは話したくない様子。笑)彼はこの部署で10年以上のキャリア持ちだそうだが、ねぎの後輩であることには変わりない。嫌がられない程度に宜しく頼んでおいた。

 

年を重ねると、新しい事への不安も大きくなる気がするけど、気がするだけなのかもしれない。苦手と思っている事も、そんな気がするだけなのかもしれない。

 

娘の体調が順調に回復し、明日から出勤出来ますように。