ポンコツでも丁寧に暮らせますか?

丁寧な暮らしをまだ諦めない、ガサツでポンコツな母ちゃんの日記

はてなブログpro解約しようとしたら自動更新済だった

と言うことで、ブログ更新が一年ぶりとなってしまった。

 

一年も書いてなかったから、有料コースは解約しようと思って契約内容確認。

なんと、先月自動更新されていた。

 

おいおい、なかなかの出費だぞーい!

 

半日は落ち込みましたけど、もう仕方ないから、これも何かの縁だし(ただのポンコツ)、ぼちぼちブログ更新しようと思う。

 

前回のブログでは、田舎に家族で移住した様子を書いていて、そこから新しい生活が始まり、色んなことがあった。これまでの人生で、かなり上位に入る濃〜い一年だった。

 

書きたいことは山のようにあるから、少しづつ記録していこう。

 


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改めて、宜しくお願いします。

 

 

ねぎ

 

 

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ついに移住。【田舎へ移住④】

こんばんは。ねぎです。

 

前回のブログから、随分と経ってしまいました。

というのも、遂に「田舎に移住」をしたため、先月からドタバタと忙しくておりました。

 

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【↑移住二日目の朝の子供たち。くったくた(笑)】

 

朝4時半に沖縄の自宅を出発し、両親の送迎で5時半に空港に到着。6時半の便の飛行機に乗り神戸へ。

途中、母の握ってくれたお握りを食べながら、先に船で送っていた愛車の引き取りのため電車を乗り継ぎ、えっちらおっちら大阪港へ向かいう。場所が良く分からず、大きなトラックの間を歩き、彷徨う人間4名。

何とかタクシーを呼び、ようやく車の引き渡し場所に到着!と思いきや、「お昼休憩中」。なんと…!

そんなこんなもあり、無事に愛車が登場した時は、胸が熱くなった。一週間ぶりの再会。息子が生まれた10年前に購入したHonda モビリオスパイク。もはや家族の一員並みの安心感。

それから、北上し、途中のサービスエリアで昼食。現地の不動産に到着したのは16時前。

 

不動産、家主さんと契約書を交わし、火災保険屋さん、役場の担当者と顔を合わせ、17時頃にようやく自宅に到着。なんて長い一日。しかし、まだ終わりでなはい。

しばらく空き家だったため、そこから大掃除開始。契約した賃貸住宅は、二階建て一軒家。とりあえず、布団を敷ける状態にするために、1階全ての掃除機&雑巾掛け開始。(雑巾はスーツケースに入れて持参)畳に白アリ事件もあったけど、子供たちも頑張ったおかげで、何とか日が沈む前には終了し、汗だくの状態で隣の市まで予約していた布団に取りに行く。

 

そして、ハイテンションな子供たちはなかなか寝付けず、翌日の朝は先ほどの写真の通り。

 


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(こんなに綺麗になったんだぞ!)

 

さて、問題は、引っ越し荷物が届くのは一週間後。

それまで、とてもじゃないけど、いやとてもこの家では過ごせないため(8月に冷蔵庫無しは死活問題)、我々は愛車に荷物を詰め直し、しばし旅へ。

 

 

 

 

 

 

 



 

お米が届いた。【田舎へ移住③】

台風が襲来して、もう何日経ったかしら。

 

酷い荒れ模様が続いている。

被害が大きい今回の台風、現在、ねぎの住む地域も二回目の暴風域に入っている。今週は火曜日からずっと台風だ。我が家は丸二日の停電で済み、引っ越し準備を進めているが、5日目にして未だに停電&断水が続いている地域も多い。ひっくり返った車、倒木で塞がれた道、冠水による浸水被害、流れてくるSNS情報に、心が痛む。

流石に台風には慣れている沖縄人でも今回の台風はたまったもんじゃない。

 

我が家の雨漏りも酷くなってきた。何とか早く過ぎ去って欲しい。

 

 

 


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話は先月に遡り、移住先の自治会長さんと役場の担当N君(若い男の子)とのZoom面談の日。ねぎは3時から年休を貰い、自宅で約束の時間の10分前にPCを開き、夫とスタンバイ。

 

会が始まると、画面が回っている。役場の担当N君、てんやわんや状態。

30秒程して、カメラの体制が整い、年配の男性3名が映し出された。我々も向こうも、タイミングを逃し、無言。おい、N君!進行してくれよ!(笑)

 

どうも~よろしくお願いします~と挨拶すると、

自治会長の〇〇〇〇。75歳!」

「副自治会長の〇〇〇〇。75歳!会長とは同級生!」

「組長の〇〇〇〇。70歳!」

 

年齢重視の自己紹介に必死に笑いを堪える我々。耐えろ、第一印象は大事だ。

「明日で36歳になります!」そう、ねぎは明日で36歳になるのだ。初対面から5分後に、お三方から拍手とお祝いの言葉を貰う。いい感じだ。

 

平均年齢や子供の人数といった地域の情報、自治会活動の内容、自治会費、地域の祭り、移住したら農業をやるのかどうか、小学校の様子、酒は飲めるのかどうか、、、etc 

町には小学生が3名しかいないらしく、10月にある寺の祭りで子供が叩く太鼓の演目が何年も中止しているらしい。我が子らよ、頑張れ。

 

また、沖縄からの荷物が1週間後にしか届かない事を話すと、

「ほんなら、公民館に泊まったらええ!なぁ、会長。ええんちゃう?布団と風呂は無いけど、トイレと台所はあるし、料金は取らんから、これはこっちの歓迎の気持ちです!」

自治会長の独断で、公民館への宿泊が許可された。今のところ、宿泊する予定は無いけれど、なんて有難い。

始終歓迎ムードで無事に面談が終了し、ホッとした。

 

面談後、役場の担当N君からメールが入る。

「先程は有難う御座いました。副自治会長の〇〇さんから、ねぎさん家族に米を送りたいと申し出があったのでご住所を教えても宜しいでしょうか。」

 

という事で、翌週、副自治会長さんの田んぼで採れた米が届いた。

その量、軽く15キロ以上!副自治会長さん、我々今からそっちに行くんですー!(笑)

 

とても美味しいお米なので、久しぶりに土鍋で炊いている。台風の停電時に本当に有難かった!台風前に、今が旬のマンゴーをお礼に送った。

 

引っ越しは17日。果たして台風の影響がどうでるのか。

とにかく、荷造りや手続きが間に合いますように。

 

 

【移住関連の過去記事】

 

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術後の経過と心の変化など。

おはようございます。ねぎです。

 

台風が近づき、仕事が休みになったので近況を少し書いてみる。

流産の手術から10日が経過した。まだ10日しか経ってないのか。もう、随分前の事のように感じる。それくらい、毎日が忙しかった。

 

手術した日のブログ↓

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退院したその日の晩から下腹部に痛みを感じ始めた。入院中は全くといって良いほど痛みは無かったのに、気が緩んだからか、重い痛みが出てきた。痛みで夜中何度か起きたけれど、そこまで強くなく、痛み止めも飲まずに済んだ。

 

退院して2日目。出血が始まり、下腹部は激痛。朝、ベットから起き上がれない、というか、横になると痛むので座ったまま動けない状態。何かを強く握っていないと耐えられない程の激痛だったため、痛み止めを一日3回飲んだ。腸が動くたびに、子宮に刺すような痛みが走る。髪の毛が逆立ってるんじゃないかと思うほど、毛根あたりの神経までを使って痛みに耐えた。これは、10年以上前、生理痛がとてもきつかった頃の痛みと同じだ。一応、病院に電話したけれど、救急対応の総合病院のため、医師には繋がらず、本人の判断で救急を受診しても良い、という感じ。受診はやめた。

 

起床時や食後、痛みに悶えること3日間、痛み止めを飲みながら出勤し、ようやく自然と痛みは引いていった。

 

痛みも出血も落ち着き、出勤し、家事をし、一週間が過ぎた頃、まるで何事も無かったかのように日常が戻っている現実に、急に気持ちが大きく揺れた。

 

職場でも、家庭でも。

 

余りに、何事もなく進んでいく日々に、私は本当に流産したのだろうか、はたして妊娠していたのだろうか、と思ってしまう。流産が分かってから退院までの1週間が、世の中からすっぽり抜けてしまったような感覚だ。まるで無かったことのように。

 

日常生活を送る中で、その感覚は必要で、周りに余計な心配を掛ける事なく、自分自身もその事を深く考えずに済む。

 

だけど、何事も無かったなんてことはなく、私は確かに妊娠していたし、それを心から喜び、赤ちゃんとの生活に胸を膨らませた日々があったわけで。そして、それを失った悲しみで泣いた日々が確かにあったのだ。

 

その事をふと思い出しては、はらはらと涙を流してしまっている。何の涙なのか、自分でもわからない。ただ、私は赤ちゃんが一瞬でも来てくれて、嬉しかった。

 

もちろん、夫にこのことは伝えている。

夫は、こうなることを想定していたようだ。

 

さて、ねぎよ。

引っ越しでやること死ぬほど多いんだぞ〜!

さぁ、泣いたり笑ったりしながら進むぞ〜!

 

 

しんみりするようなブログが続いてごめんなさいね。

 

 

台風、お気をつけください。

 



 

 

 

誕生日に入院。なんてこった。

 

こんばんは、ねぎです。

 

 

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ご覧の通り、病室におります。

 

昨日、ねぎは36歳を迎えた。

そんな日に緊急入院。なんてこった!

 

単刀直入に言うと、流産の手術を受けた。

 

こんな事blogに書くのもどうかと思うけれど、ねぎの人生の記録として、書いておこうと思う。不快な思いをしそうでしたら、ここで読むのを止めて、過去のアホな記事を読んでくださいね。

(おすすめのくだらない過去記事↓)

 

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入院することになった。

 

事の始まりは6月。

普段あまり遅れないはずの月経が2週間遅れ、妊娠か、はたまた婦人科系の病気かと不安になる。夫に相談し、とりあえず妹から貰った妊娠検査薬を試すことに。

 

陽性!やったー!3人目だ!

素直に嬉しかった。夫も「そっかぁ~ますます楽しくなりそう!」と喜んだ。

自然に任せては居たものの、なかなか自然に授からないことから、年齢的に少し難しくなってきたのかと思っていた矢先だった。だから、素直に嬉しかった。

 

7月に入り、産婦人科を受診した。ねぎが産まれた産婦人科だ。ねぎを取り上げてくれた先生は、すっかりおじいちゃんになっていた。「私、ここで産まれたんです。」と話すと、私の年齢を確認して「開業して10年目の頃だなぁ。とても、忙しい時期だったよ。」と、その内容をメモしながら話してくれた。優しい物腰で、安心したが、胎児の心拍が確認出来なかったため、翌週も来るように言われる。

 

そんな中、移住先が決まった。

移住の準備をしながら、お産のタイミングを逆算し、向こうでの仕事の事、3人目も乗れるように車を買い替える事、処分予定だったチャイルドシートやベビーカーも引っ越し荷物に加えて、妊婦の私と、春には赤ちゃんのいる生活に胸を膨らませた。

 

しかし、翌週も胎児の心拍は聞こえなかった。

「次回は旦那さんも一緒に、出来るだけ早く来てくれませんか。」

 

良くない知らせになるかもしれないと言われた。胎児が成長してないことや、良くない結果の可能性について、とても丁寧で優しい説明を受ける。妊娠10週のはずだけれど、サイズが5週程度で変化無し。先生は、良くない結果が決まったわけではないと言っていたけれど、私は過去2回の妊娠経験とは違う、目の前のエコー画面を見て、ダメなんだろうと思った。

 

こんなことは予期していなかった。いや、頭では理解していたつもりだった。前回のお産から8年も経っていて、年齢的なリスクもあるだろう、20代のお産とは違うだろう、と頭では分かっていたつもりだった。だけど、心がついて来てくれない。産婦人科の駐車場から、夫に電話をかける。涙が止まらない。一つも言葉が出ない。ようやく絞り出した言葉を夫はすぐに理解して、「分かった。ねぎ、大丈夫?大丈夫だからね。早く帰っておいで。」と言った。

 

家に着く前に涙は乾いた。その日は土曜日だったため、家には子供達がいたけれど、夫は小まめに2人だけの時間を取ってくれて、私の気持ちに寄り添ってくれた。私は時々泣いたりしながら、引っ越しへむけてやることを進め、何事もなく出勤し、数日を過ごした。

 

数日後、夫と2人で産婦人科へ。診察の前に、怖くてまた泣いてしまう。それでスッキリしたからか、診察では冷静だった。

胎児は居なくなっていた。すっかり消えていた。空っぽの胎嚢だけが映ったエコーは、目的を失った容器だけがただ私のお腹に浮かんでいるようだった。いつ流産が始まってもおかしくない、という状況らしいので、週明けに手術日を決めた。

 

生きられるものが残り、生きられないものが流れる。ごくごく自然なことなのだ。人間も自然の一部であることに納得して、いつの間にか悲しみは消えた。

 

こんな時にと思ったが、帰りに夫にねだって美味しいハンバーガーを食べた。お互いの今の気持ちやこれからの事を話した。


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明日は私の誕生日だ。

ふと、手術日までに流産が始まったらどうしようと不安がよぎり、夜から妹にLINEする。妹は過去に流産を経験している。その時のことをいろいろ教えて貰い、気持ちの準備をした。事前に生理痛のような痛みがあったらしい。

 

翌朝、生理痛のような鈍痛と軽い出血。

 

かかりつけの産婦人科は休診日。

なんてこった。念のため貰っていた紹介状で救急で対応して貰う事になった。夫が仕事のため、母に付き添って貰う。診察後、「今日で処置した方が安全なので手術しましょう。1泊入院になります。」とのこと。

 

えー、入院なの!誕生日なんですけど!

 

全く準備してこなかったので、母が売店に走り、紙おむつなど揃えてくれた。産道や子宮を膨らませる器具を装着し(処置がやや痛かった)、飲食を止められ、時間を潰すこと4時間。手術が始まった。

 

気がついた時は病室に寝ていた。

無事に手術は終わったらしい。

面会は禁止のため、夫が荷物を届けてくれたことを後から知る。会いたかったな。予約していた誕生日ケーキはキャンセルせずに無事に受け取ったらしい。友人達からの誕生日メールと現実のギャップに笑ってしまう。

 

今日は子供達の1学期修了の日だ。

転校前の最後の登校日、お別れ会もあったみたい。どうだったか聞いてあげたかった。

明日、たっぷり聞いてあげよう。

 

とにもかくにも、今回の件で、私はやっぱりもう一人子供が欲しいんだと改めて気づけたし、その覚悟が出来た。そして、夫が夫でよかったと改めて感じた。

 

おめでとう、ねぎ36歳!

 

 

ついに移住が決まった【田舎に移住②】

こんにちは、ねぎです。

 

2年前から検討を始め、1年前から具体的に行動してきた我が家の移住計画。

 

ついに、この夏に移住決定ー!パフパフ


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(契約予定の物件からの景色)

 

 

夫の地元である京都への移住。

夫の育ちはシティーボーイなのだが、子育ては田舎でやりたいので、シティーから離れた田舎で移住先を探していた。ちなみに、ねぎは南国の沖縄生まれ沖縄育ち。あいえーなー。

 

前回の旅で回った地域が気に入り、しばらく条件の良い物件が出るのを待っていた。

(前回の旅記録↓)

kanaxx.com

 

そして、半年経過。

 

子供の夏休みに合わせたい焦りもあったため、先月、夫が単身で現地入りし、いくつか中古物件を見学させて貰う。

不動産が所有する古民家数軒、口コミで紹介して頂いた賃貸住宅二軒、そして市が仲介する空き家バンクから数軒。

 

以前見学を希望したものの、先約が入り諦めた空き家バンクの中古の賃貸物件。今回、夫の京都行直前に役所の方から「あの物件、キャンセルになったので見学しますか?」と連絡が入る。これはチャンス!と、急遽そちらも見学させて貰うと、その物件が当たりだったそう。(まだ、住んでないから今のところ、当たりだと思っている。)

 

日当たり、周りの環境、値段、どれを取っても好条件。すぐに申し込みを希望した。

子供たちの学校の環境も良さそう。

現在通っている小学校とさほど規模が変わらない事が吉と出ますように。

 

 

という事で、退職の手続きから引っ越しの準備でてんやわんやの我が家。

そんな中、夫婦そろって流行りの感染症に乗ってしまい、不調の中なんとか頑張っている状況。

 

さて、あと、一か月後に遠い移住先へ無事引っ越せているのか?笑

 

 

 

 

 

大人に幻滅した話。

今でもふと、思い出す出来事がある。

 

久しぶりにその事を思い出したのは、昨日届いた子供宛の本が、クラスの嫌われ者の話だったから。

 


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(ジャガイモだけは切りたがる子供たち。)

 

 

私が小学生の頃、クラスに女子から避けられていた男の子がいた。理由は【臭いから】。定番の嫌われポイントだ。

 

彼は、同じ服の日が多かった。裕福な家庭ではない事はわかっていた。確かに少し臭ったが、そこまで大したことはなかった。頻繁に、臭い!臭い!と言われる様になったのは、彼が夏に骨折してからだ。ギプスが洗えず、その臭いが強烈だったのだ。

 

だけど、ギプスが取れた後も、臭い臭い!と言われ続け、彼を避ける行為は続いた。特に女子からは酷く避けられていた。彼は、精神的に大人だったと思う。毎日毎日、そんな心ない事を言われ、触られたらやだ!とか、触ると移る(何が?)からと、机を運んで貰えなかったりしても、酷く落ち込んだり、周りにキレたりすることは少なかったと思うし、周りへの接し方がいつも感じ良かった。(私の知る限りでは。)

 

私は、本気で彼を避け続ける同級生を見てウンザリしてたし、彼の精神的な強さに気づいていた。が、そんな私も、仲の良い友人と彼をからかって、校庭を追いかけ回されていた。(してたんかい。)

でも、明らかに違うのは、その時はいつだって、私達も彼も笑っていた。私達は、お互いに、それを楽しめる許容範囲を知っていた。

 

小学校5年生のある日、それは起きた。

 

担任は人気のある男の先生だった。冗談を良く良い、イラストも上手で、面白い先生だと明るい女子グループから人気があった。だけど、私は何故か、その先生には話し掛け難さを感じていた。その事とは関係ないけれど、先生は信仰心の厚いクリスチャンで、給食の前には必ず何か祈っていた。

 

ある日の掃除の時間、いつものように彼を嫌がる女子達。

 

掃除の為に教室の後ろに寄せられた机を、今から元の位置に戻そうとした時だったと思う。彼の後ろにいた先生が彼の背中に向かって、あるジェスチャーをしたのだ。

片手で自分の鼻をつまみ、もう一方の手で鼻の前の空気を仰ぎ、【臭い!臭い!】と口パクで言っている。彼はそれに気づかない。先生は、周りにいる私たちに向けて、それをしたいたのだ。

 

私は何が起きたか理解するのに少し時間が掛かった。

理解した瞬間、泣きたかった。見てはいけないものを見た気分だった。

とても悲しかったし、深く深く傷ついた。

11歳のねぎには理解できなかった。

先生はどんなつもりで、これをしたんだろう。

とにかく、ねぎは悲しかった。

誰かとこの気持ちを共有したかった。でも、出来なかった。

 

その事を彼は知らないだろう。絶対に知って欲しくなかった。

 

大人に対する信頼を一気に崩されて、私は先生に対して嫌悪感を抱くようになった。私の気持ちが伝わっていたのだろう。先生は、二人きりになった時でさえ、私に話しかける事はなかった。

 

今でも時々、この日の事を思い出しては悲しくなる。

11歳のねぎに言ってあげたい。大丈夫、あなたは間違ってないよ!と。